義援金について思う事 -東日本大震災-
今回のような災害のとき、一番最初に思いつく支援の方法は義援金だと思います。
もちろん義援金は素晴らしいことだと思います。絶対に必要なお金だと思います。
これも僕個人の意見ですが、もし自分が被災者に何かをしたくて、なけなしのお金を10万円作ったとしても、私はすぐに義援金には募金しません。
手元の10万円を義援金に募金してしまえば10万円の募金で終わり。
例えば手元の10万円で必死にメンタルヘルスの勉強をして、被災地からボランティア養成があった際に被災者のメンタル面から復興を助けることができれば、何十人、何百人の人生を立ち直すお手伝いが出来るかもしれない。
例えば手元の10万円で、地元の商店街で義援金募集のキャンペーンを開いてそのキャンペーンの宣伝費用に回せば、100万円の義援金が集まるかもしれない。
例えば手元の10万円で、復興し始めた地域に旅行し、その土地の良さや魅力を個人のブログやツイッターで発信し、それを見た人たちが同じく旅行に行く(被災地にお金を落とす)。
現地で3万円使う人が4人旅行しただけでも元金の10万円を超す12万円の現金が現地に。100人旅行すれば300万円の経済効果がある。
例えば10万円を元手にビジネスを考案して、落ち着いてきた被災地に会社を起こして従業員を雇って現地で雇用を生み出す。
10万円という現金では船を無くした漁師さん一人も救えないけど、会社を起こせば何人もの人たちに仕事を提供できる。
その家族を養ってあげる事ができる。その人たちが地元でお金を使うという好循環ができる。
復興という視点で考えると、今回の災害の復興には数十年かかると思います。
そうすると長期的な支援が必要となり、例えばで紹介した最後2つが最も効果的かもしれません。
話の要点をもう一度確認しますと、別に義援金を否定しているわけではありません。
僕も微力ながら義援金に賛同させていただきます。
ただ同じ10万円の価値でも、使う人によって無限の可能性を秘めているのも事実。
自分自身が一生懸命稼いだお金、そして被災者のためを思えばこそ、その効果が最大限に発揮できる方法を考えてから実行することに意味があると思います。
なぜこのようなことを言うかというと、僕自身、義援金について深く考えたことがあったからです。
2004年の新潟県中越地震の際、現地にボランティアにも行き、帰ってきてからできる限りの義援金を贈りました。
その時は、自分にできることをやり尽くした感がありました。
しかし中越地震から2か月後の12月、スマトラ島沖地震がありました。
この時も義援金を募集していましたが、中越地震でギリギリまで支出していたため、この時はスズメの涙ほどしか募金できませんでした。
この時、自分の力の無さを痛感しました。また同時に、中越地震の義援金を少し取っておけばよかったかな。という気持ちすら出てきました。
と、こう書いていると、当時の自分はお金がないと何も出来ないと思い込んでいたことに気づいたりしました
(^^;
今は、人生の師と言える方々に出逢えたお陰で、自分の可能性、行動基準の条件付けが外れてきたので、その視点で書かせていただいております。
アナタが汗水たらして稼いだお金を、最大限に活用していただければ幸いです。
そのために一生懸命考える事。この想いも支援の一つになることは間違いないです。
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もちろん義援金は素晴らしいことだと思います。絶対に必要なお金だと思います。
これも僕個人の意見ですが、もし自分が被災者に何かをしたくて、なけなしのお金を10万円作ったとしても、私はすぐに義援金には募金しません。
手元の10万円を義援金に募金してしまえば10万円の募金で終わり。
例えば手元の10万円で必死にメンタルヘルスの勉強をして、被災地からボランティア養成があった際に被災者のメンタル面から復興を助けることができれば、何十人、何百人の人生を立ち直すお手伝いが出来るかもしれない。
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現地で3万円使う人が4人旅行しただけでも元金の10万円を超す12万円の現金が現地に。100人旅行すれば300万円の経済効果がある。
例えば10万円を元手にビジネスを考案して、落ち着いてきた被災地に会社を起こして従業員を雇って現地で雇用を生み出す。
10万円という現金では船を無くした漁師さん一人も救えないけど、会社を起こせば何人もの人たちに仕事を提供できる。
その家族を養ってあげる事ができる。その人たちが地元でお金を使うという好循環ができる。
復興という視点で考えると、今回の災害の復興には数十年かかると思います。
そうすると長期的な支援が必要となり、例えばで紹介した最後2つが最も効果的かもしれません。
話の要点をもう一度確認しますと、別に義援金を否定しているわけではありません。
僕も微力ながら義援金に賛同させていただきます。
ただ同じ10万円の価値でも、使う人によって無限の可能性を秘めているのも事実。
自分自身が一生懸命稼いだお金、そして被災者のためを思えばこそ、その効果が最大限に発揮できる方法を考えてから実行することに意味があると思います。
なぜこのようなことを言うかというと、僕自身、義援金について深く考えたことがあったからです。
2004年の新潟県中越地震の際、現地にボランティアにも行き、帰ってきてからできる限りの義援金を贈りました。
その時は、自分にできることをやり尽くした感がありました。
しかし中越地震から2か月後の12月、スマトラ島沖地震がありました。
この時も義援金を募集していましたが、中越地震でギリギリまで支出していたため、この時はスズメの涙ほどしか募金できませんでした。
この時、自分の力の無さを痛感しました。また同時に、中越地震の義援金を少し取っておけばよかったかな。という気持ちすら出てきました。
と、こう書いていると、当時の自分はお金がないと何も出来ないと思い込んでいたことに気づいたりしました
(^^;
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東日本大震災の被災者にできること
横浜にいる自分が、東日本大震災の被災者のために何が出来るかを考えてみました。
自分と同じように、被災者の方に何かしてあげたくて居ても立っても居られない。
食料・燃料を届けたい。救助作業を手伝いたい。
色々な想いがあると思います。
でも今、そういった直接的な支援は個人ではできません。
それで諦めて悶々としていないでください。
個人でもできることはたくさんあります。
私個人の意見ですが、まず一番にしなければいけないこと。
それは、経済活動を正常に回すこと、欲を言えばより一層経済を活発化させることだと思います。
アイドルのイベントやスポーツの試合を自粛する動きが見られましたが、自粛して被災者の方たちに何かプラスになったかと聞かれればプラスの事は何ひとつありません。
今日生きる食料が無い、薬が無い被災者の方々は、自分たちを想って動きを自粛してほしいなんて望んでいないと思います。
それよりも予定通りイベントを行い、収益を上げ税金を払い、来てくれた人たちに元気を与える方がよっぽど日本のため、しいては被災者のためになるのではないでしょうか。
そして何度も言われてますが、節電する、買い溜めはしない、不安だからと車にガソリンを入れない。
ガソリンを満タンにして家の駐車場に止めておく。
本人は安心かもしれませんが仕事でやむを得なく車を使う人が給油できずに困ります。
救急車が給油できずに困ります。
経済も福祉も止まります。
食料の買い溜めについても、少し想いを巡らせてみてください。
足の悪い老人が急いで食料を買おうとやっとの思いで買い物に来たのに、米が買えなくて帰る老人を想像できますか?
※「買い溜め」というとイメージが悪いかもしれませんが、たとえば「今回の地震が無かったらまだ買ってなかったであろう米を早めに買っておくか。」という、たった一袋でも余分に買っておこうという家庭が全体の半数いただけでも、1日2日に集中すれば十分に店頭から品がなくなります。
乾電池にしても、数時間の輪番停電にそんなに備える必要が本当にありますか?
数時間の停電ならば、家族と月明かりやロウソクの明かりの中「電気ってありがたいね」と電気のありがたさを感じたり、その便利さの裏側には、今回の原発事故のような命のリスクを背負って電気を作ってくれている人たち、地域住民の人たちがいることを、家族で話し合うのもいいと思います。
被災地に送るはずだった食料やガソリン、電池が、首都圏内の急な不足で被災地に回らなくなる可能性も十分にあります。
また、近所に一人暮らしの老人の方はいませんか?
そういう方はきっと孤独で不安です。
そういった人に定期的に家庭訪問して声をかける。
被災地にいる方だけが被害者ではありません。困ってる人は周りに必ずいます。
もっと身の回りで、少しの勇気さえ出せば誰にでもできること。
何も出来ないと悶々としている方は、元気のない近くの人たちに元気を与える、勇気を与える、希望を与える事が日本のため、しいては被災者の為となるんだという大きなビジョンを持って、行動に移して(←一番大事)頂ければと思います。
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それは、経済活動を正常に回すこと、欲を言えばより一層経済を活発化させることだと思います。
アイドルのイベントやスポーツの試合を自粛する動きが見られましたが、自粛して被災者の方たちに何かプラスになったかと聞かれればプラスの事は何ひとつありません。
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それよりも予定通りイベントを行い、収益を上げ税金を払い、来てくれた人たちに元気を与える方がよっぽど日本のため、しいては被災者のためになるのではないでしょうか。
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経済も福祉も止まります。
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乾電池にしても、数時間の輪番停電にそんなに備える必要が本当にありますか?
数時間の停電ならば、家族と月明かりやロウソクの明かりの中「電気ってありがたいね」と電気のありがたさを感じたり、その便利さの裏側には、今回の原発事故のような命のリスクを背負って電気を作ってくれている人たち、地域住民の人たちがいることを、家族で話し合うのもいいと思います。
被災地に送るはずだった食料やガソリン、電池が、首都圏内の急な不足で被災地に回らなくなる可能性も十分にあります。
また、近所に一人暮らしの老人の方はいませんか?
そういう方はきっと孤独で不安です。
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被災地にいる方だけが被害者ではありません。困ってる人は周りに必ずいます。
もっと身の回りで、少しの勇気さえ出せば誰にでもできること。
何も出来ないと悶々としている方は、元気のない近くの人たちに元気を与える、勇気を与える、希望を与える事が日本のため、しいては被災者の為となるんだという大きなビジョンを持って、行動に移して(←一番大事)頂ければと思います。
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ボランティアの心得 -東日本大震災のボランティアへ行く前に-
はじめに、東日本大震災により被災されました皆様、御親戚の方々、また輪番停電などにより間接的に影響を受けてる方々、心よりお見舞い申し上げます。
現在、個人のボランティアはまだ行けない状態ですが、今後落ち着いてきたときには復興ボランティアの要請があるかと思います。
私自身も、要請があった際には微力ながら手伝わせていただこうと思っております。
ただ、過去の自分は『ボランティア』の使命を勘違いしておりましたので、自分への再認識もかねて記します。
★『ボランティア』とは『介護』では無い。
★1から10まで被災者の方の為に動くことでは無い。
★自分たちボランティアが帰った後でも、被災者の方々が自力で生活できる基盤を作ることが最優先。
以下に、2004(平成16年)10月23日(土)に発生した新潟県中越地震のボランティアに行って来た時のレポートを載せます。
上記の事に気づいた、特に重要な被災者側からのメッセージ部分は赤字にしてあります。
稚拙な文章で恥ずかしいですが、今後、東北地方へボランティアへ行かれる際の参考になればと思います。
新潟県中越地震
- ボランティア活動報告(10月28日(木)~30日(土)) -
自分は東京出身ですが、長岡の大学へ2年間通っていたことがあり、知り合いもたくさんできました。
今回の地震による被害は、初めのうちは、そんなに火災も起きていないようだし、震度は大きかったけど大したこと無かったのかなと思っていましたが、日を追うごとに次々と新たな情報が入り、被害の本当の大きさを知り、いてもたってもいられず、10月28日から週末まで有給休暇をもらい、長岡へ行ってきました。
現地へは伯母さんの車(トヨタ スプリンター カリブ)をかりて、積めるだけの救援物資を積み、10月28日0時30分、新潟に向けて出発しました。
情けない話ですが、実際、新潟へ行く途中は本当に怖かったです。
ハンドルを握る手が震えていたのを今でも思い出します。
特に怖かったのがトンネル。行きは、東北道と磐越道を通って新潟へ入ったのですが、新潟までには、1km、2kmと長いトンネルが幾つもありました。
もしトンネルを走行中に地震があったら・・・と思うと・・・
自分は、なんとか無事に帰ってこられてホッとしていますが、現地の方々は、いまだに余震の恐怖の中、暮らしていると思うと、自分だけ帰ってきたことで心が痛みます。
10月28日8時30分、休み休みの移動でしたが、無事長岡駅前に到着。
そのままボランティアセンターへ足を運び、そこで活動すべき避難所の場所を指示されました。
自分は、全村民が長岡市に避難してきた山古志村(やまこしむら)の方々(合計約2000人)の避難場所の一つで、長岡工業高校の一角にあるセミナーハウスで作業することになりました。
ここは、とても快適で、大部屋が3つあるのですが、全部屋暖房完備、風呂、水洗トイレは正常に機能しているし、電気も来ていました。
ココには約130人くらいの方が避難されていました。
中年~高齢者の方が多くいらっしゃいました。
救援物資の食料や水は、毎日、大量に来ていました。
パンやおにぎり等は、賞味期限が切れて捨てていました。
(保険所の方が来て、集団食中毒の恐れがあるから確実に捨てるようにとの指示がありました。実際は全然食べれるのに、勿体無い話です。)
小千谷市や、その他の山奥の孤立された村などには、ほとんど行き渡っていないようでしたが、道が無い以上、自分にはどうすることもできませんでした。
本当に自分の無力さを感じました。
避難所での作業は主に、食事の支度や救援物資の仕分け、老人や子供達の話し相手などの作業を手伝わせてもらいました。
特に、老人の話し相手になることは、精神的な面でのサポートと言うことで、力を入れました。小学生や中学生の女の子達もなついてくれて、バレーボールやバドミントンを買って、一緒に遊びました。
震度3くらいの余震は、数時間に1度の割合で頻繁に起きていました。
救急車のサイレンは夜中でも休むことが無く、空には絶えずヘリコプターが飛び、あちこちに自衛隊の軍用車が止まっていました。
手伝いが一区切りついたとき、小千谷市まで車で行きましたが、全倒壊した住宅や、地盤沈下でデコボコ&亀裂の入った道路が、いたるところにありました。
小千谷市役所や、総合体育館前では多数の報道陣がいて、夜中もライトアップして報道している姿をみていると、避難している方々は、24時間カメラを向けられて気の毒に思います。
知り合いの所も回りましたが、幸いにも、自分の知り合いに大きな怪我をした人はいませんでした。
ただ、家自体は無事でも、家の中はグチャグチャだと言っていました。
せっかく直したのに、震度6弱の余震でまたグチャグチャになったとか・・・
また、知り合いの一人が、あの土砂崩れに車で巻き込まれた、皆川貴子さんの同僚だったのには驚きました。
話は戻りますが、山古志の方々は、本当に強いと感心しました。こんな状況でも、皆さん明るく前向きに生きていました。
ボランティア最後の日(10月30日)は、ちょうど地震から1週間にあたります。
午後5時56分。地震で亡くなった方々をしのんで、1分間の黙祷。
涙が止まりませんでした・・・
土砂崩れに巻き込まれた皆川貴子さん、真優ちゃん。
避難途中でショック死した2ヶ月の男児。
倒壊した家の下敷きになり、「助けて」の声を発しながら亡くなった女の子。
なんで、なんでこんな若い子達が死ななくてはならないんだ。
2ヶ月の男児だって、産まれて2ヶ月でショック死するために10ヶ月間もお母さんのお腹の中で生きて、この世に産まれて来たわけじゃない。
自分は、死んだ人の冥福を祈るために長岡に来たわけじゃないのに、という気持ちでいっぱいでした。でも自分には何もできない。本当に悔しかったです。
また、今回のボランティア活動は本当に勉強になりました。
自分は、数日間しかコッチ(長岡)にいられないのだから、できる限りの事はやろう、と意気込んで、1日目、2日目と、被災者の方々が重たいものを運んでいれば代わって運ぶ。食事もみんなが座っているところまで運ぶ。
みんなの為だと思い、体だけは人一倍動かしました。
でもそれが間違いだと気付いたのが最終日、3日目(10月30日)の朝。
山古志出身で、現在、東京の大学に通っている女性(文化祭休みで帰省していた時に被災)に、話があると呼ばれ、こんな感じの内容の話をされました。
「ボランティアの人たちのことは本当に感謝しています。でも、何から何までやってもらうのは困ります。みんな、仕事も無く、何もしない毎日に退屈しているので何かしたいと思う。食事の支度にしても、体を動かせば気分転換にもなるし、やったあとは達成感もある。今は、そういった事を全てボランティアの人たちがやってしまっている。ボランティアの人たちだって、数日で帰ってしまうし、その後、結局自分たちでやらないといけない。
何でもやってしまうのではなく、効率よく生活していけるようなシステムを考えみんなに教えたり、仕事があるときは、やるのではなく、指示を出して欲しい。もっと、長期的な目で見て、何が本当に村の人たちのためになるかを、考えて行動してもらいたい。あと、高齢者の方々は、座りっぱなしになっていることが多いので、散歩や体操などをやってもらいたい。」
目からうろこが落ちるというのは、こういうことかと実感しました。
確かに、自分は『復興支援』に来ているわけであり、『介護』しに来ているわけではないと気が付きました。なんでもっと早く気が付かなかったんだと後悔しました。
もちろん、避難生活初日や2日目など、被災者の方々がショックを受け、パニックや過労しているときは、それも必要かもしれない。でも、もう一週間も経とうとしている。
自分は、村人達の何を見ていたんだろう。本当に村人達の気持ちになれば、何が必要かが分かるはずなのに、今までは自分の自己満足のためだけに活動してきたのではないか。と、とてもショックをうけました。
でも落ち込んでいられない。自分はあと一日しかいない、何かできることは無いのか。本気で考えました。
自分が担当した避難所には、29日から自衛隊が滞在し、朝、昼、夕食の準備をしてくれることになっていました。これはと思い、自衛隊の隊長さんにお願いしました。
「食事の準備でもなんでも良いので、積極的に村の人たちに手伝いをさせてもらえないか」
隊長は快く了解してくれました。
その日の昼過ぎ、自衛隊の車で食材が届きました。隊長は、村人達に声をかけ、食材の入ったダンボールを車から車へ移し変える作業を手伝わせてくれました。
村の人たちは、張り切って作業をしていました。時には笑い声が聞こえたり、自衛隊の隊員と楽しそうに会話する姿もありました。
ほんの少しでも、村人のためになったのかなと思うと、嬉しくなりました。
勇気を出して「ボランティア活動の間違い」を伝えてくれた女性に、本当に感謝しています。(こういうことって、言うのに凄く勇気がいることですよね)
土曜日まで活動をさせていただき、日曜日の朝に帰ってきました。
今回は、いろんな意味で本当に学ぶことが多かったと思います。
本格的な復興は、雪が解ける来年の春から。これからまだまだ長い避難生活が続きます。今後も、何かできることは無いか、を真剣に考えていくつもりです。
以上です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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現在、個人のボランティアはまだ行けない状態ですが、今後落ち着いてきたときには復興ボランティアの要請があるかと思います。
私自身も、要請があった際には微力ながら手伝わせていただこうと思っております。
ただ、過去の自分は『ボランティア』の使命を勘違いしておりましたので、自分への再認識もかねて記します。
★『ボランティア』とは『介護』では無い。
★1から10まで被災者の方の為に動くことでは無い。
★自分たちボランティアが帰った後でも、被災者の方々が自力で生活できる基盤を作ることが最優先。
以下に、2004(平成16年)10月23日(土)に発生した新潟県中越地震のボランティアに行って来た時のレポートを載せます。
上記の事に気づいた、特に重要な被災者側からのメッセージ部分は赤字にしてあります。
稚拙な文章で恥ずかしいですが、今後、東北地方へボランティアへ行かれる際の参考になればと思います。
新潟県中越地震
- ボランティア活動報告(10月28日(木)~30日(土)) -
自分は東京出身ですが、長岡の大学へ2年間通っていたことがあり、知り合いもたくさんできました。
今回の地震による被害は、初めのうちは、そんなに火災も起きていないようだし、震度は大きかったけど大したこと無かったのかなと思っていましたが、日を追うごとに次々と新たな情報が入り、被害の本当の大きさを知り、いてもたってもいられず、10月28日から週末まで有給休暇をもらい、長岡へ行ってきました。
現地へは伯母さんの車(トヨタ スプリンター カリブ)をかりて、積めるだけの救援物資を積み、10月28日0時30分、新潟に向けて出発しました。
情けない話ですが、実際、新潟へ行く途中は本当に怖かったです。
ハンドルを握る手が震えていたのを今でも思い出します。
特に怖かったのがトンネル。行きは、東北道と磐越道を通って新潟へ入ったのですが、新潟までには、1km、2kmと長いトンネルが幾つもありました。
もしトンネルを走行中に地震があったら・・・と思うと・・・
自分は、なんとか無事に帰ってこられてホッとしていますが、現地の方々は、いまだに余震の恐怖の中、暮らしていると思うと、自分だけ帰ってきたことで心が痛みます。
10月28日8時30分、休み休みの移動でしたが、無事長岡駅前に到着。
そのままボランティアセンターへ足を運び、そこで活動すべき避難所の場所を指示されました。
自分は、全村民が長岡市に避難してきた山古志村(やまこしむら)の方々(合計約2000人)の避難場所の一つで、長岡工業高校の一角にあるセミナーハウスで作業することになりました。
ここは、とても快適で、大部屋が3つあるのですが、全部屋暖房完備、風呂、水洗トイレは正常に機能しているし、電気も来ていました。
ココには約130人くらいの方が避難されていました。
中年~高齢者の方が多くいらっしゃいました。
救援物資の食料や水は、毎日、大量に来ていました。
パンやおにぎり等は、賞味期限が切れて捨てていました。
(保険所の方が来て、集団食中毒の恐れがあるから確実に捨てるようにとの指示がありました。実際は全然食べれるのに、勿体無い話です。)
小千谷市や、その他の山奥の孤立された村などには、ほとんど行き渡っていないようでしたが、道が無い以上、自分にはどうすることもできませんでした。
本当に自分の無力さを感じました。
避難所での作業は主に、食事の支度や救援物資の仕分け、老人や子供達の話し相手などの作業を手伝わせてもらいました。
特に、老人の話し相手になることは、精神的な面でのサポートと言うことで、力を入れました。小学生や中学生の女の子達もなついてくれて、バレーボールやバドミントンを買って、一緒に遊びました。
震度3くらいの余震は、数時間に1度の割合で頻繁に起きていました。
救急車のサイレンは夜中でも休むことが無く、空には絶えずヘリコプターが飛び、あちこちに自衛隊の軍用車が止まっていました。
手伝いが一区切りついたとき、小千谷市まで車で行きましたが、全倒壊した住宅や、地盤沈下でデコボコ&亀裂の入った道路が、いたるところにありました。
小千谷市役所や、総合体育館前では多数の報道陣がいて、夜中もライトアップして報道している姿をみていると、避難している方々は、24時間カメラを向けられて気の毒に思います。
知り合いの所も回りましたが、幸いにも、自分の知り合いに大きな怪我をした人はいませんでした。
ただ、家自体は無事でも、家の中はグチャグチャだと言っていました。
せっかく直したのに、震度6弱の余震でまたグチャグチャになったとか・・・
また、知り合いの一人が、あの土砂崩れに車で巻き込まれた、皆川貴子さんの同僚だったのには驚きました。
話は戻りますが、山古志の方々は、本当に強いと感心しました。こんな状況でも、皆さん明るく前向きに生きていました。
ボランティア最後の日(10月30日)は、ちょうど地震から1週間にあたります。
午後5時56分。地震で亡くなった方々をしのんで、1分間の黙祷。
涙が止まりませんでした・・・
土砂崩れに巻き込まれた皆川貴子さん、真優ちゃん。
避難途中でショック死した2ヶ月の男児。
倒壊した家の下敷きになり、「助けて」の声を発しながら亡くなった女の子。
なんで、なんでこんな若い子達が死ななくてはならないんだ。
2ヶ月の男児だって、産まれて2ヶ月でショック死するために10ヶ月間もお母さんのお腹の中で生きて、この世に産まれて来たわけじゃない。
自分は、死んだ人の冥福を祈るために長岡に来たわけじゃないのに、という気持ちでいっぱいでした。でも自分には何もできない。本当に悔しかったです。
また、今回のボランティア活動は本当に勉強になりました。
自分は、数日間しかコッチ(長岡)にいられないのだから、できる限りの事はやろう、と意気込んで、1日目、2日目と、被災者の方々が重たいものを運んでいれば代わって運ぶ。食事もみんなが座っているところまで運ぶ。
みんなの為だと思い、体だけは人一倍動かしました。
でもそれが間違いだと気付いたのが最終日、3日目(10月30日)の朝。
山古志出身で、現在、東京の大学に通っている女性(文化祭休みで帰省していた時に被災)に、話があると呼ばれ、こんな感じの内容の話をされました。
「ボランティアの人たちのことは本当に感謝しています。でも、何から何までやってもらうのは困ります。みんな、仕事も無く、何もしない毎日に退屈しているので何かしたいと思う。食事の支度にしても、体を動かせば気分転換にもなるし、やったあとは達成感もある。今は、そういった事を全てボランティアの人たちがやってしまっている。ボランティアの人たちだって、数日で帰ってしまうし、その後、結局自分たちでやらないといけない。
何でもやってしまうのではなく、効率よく生活していけるようなシステムを考えみんなに教えたり、仕事があるときは、やるのではなく、指示を出して欲しい。もっと、長期的な目で見て、何が本当に村の人たちのためになるかを、考えて行動してもらいたい。あと、高齢者の方々は、座りっぱなしになっていることが多いので、散歩や体操などをやってもらいたい。」
目からうろこが落ちるというのは、こういうことかと実感しました。
確かに、自分は『復興支援』に来ているわけであり、『介護』しに来ているわけではないと気が付きました。なんでもっと早く気が付かなかったんだと後悔しました。
もちろん、避難生活初日や2日目など、被災者の方々がショックを受け、パニックや過労しているときは、それも必要かもしれない。でも、もう一週間も経とうとしている。
自分は、村人達の何を見ていたんだろう。本当に村人達の気持ちになれば、何が必要かが分かるはずなのに、今までは自分の自己満足のためだけに活動してきたのではないか。と、とてもショックをうけました。
でも落ち込んでいられない。自分はあと一日しかいない、何かできることは無いのか。本気で考えました。
自分が担当した避難所には、29日から自衛隊が滞在し、朝、昼、夕食の準備をしてくれることになっていました。これはと思い、自衛隊の隊長さんにお願いしました。
「食事の準備でもなんでも良いので、積極的に村の人たちに手伝いをさせてもらえないか」
隊長は快く了解してくれました。
その日の昼過ぎ、自衛隊の車で食材が届きました。隊長は、村人達に声をかけ、食材の入ったダンボールを車から車へ移し変える作業を手伝わせてくれました。
村の人たちは、張り切って作業をしていました。時には笑い声が聞こえたり、自衛隊の隊員と楽しそうに会話する姿もありました。
ほんの少しでも、村人のためになったのかなと思うと、嬉しくなりました。
勇気を出して「ボランティア活動の間違い」を伝えてくれた女性に、本当に感謝しています。(こういうことって、言うのに凄く勇気がいることですよね)
土曜日まで活動をさせていただき、日曜日の朝に帰ってきました。
今回は、いろんな意味で本当に学ぶことが多かったと思います。
本格的な復興は、雪が解ける来年の春から。これからまだまだ長い避難生活が続きます。今後も、何かできることは無いか、を真剣に考えていくつもりです。
以上です。
テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル : その他
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